パートナーや子どもに依存しないための3箇条

  1. 相手を「必要としない」

すべての依存は、ニーズから始まります。ニーズとは相手を自分のために「必要とする」態度です(英語で「needy」と言います)。人間関係において、相手に自分の価値を認めさせようとしていたり、相手に合わせて自分が犠牲になっていたりするとき、あなたは自分のために相手を「必要として」います。自分に足りない何かを得るために、関係にしがみついているのです。パートナーや子どもに依存しないようにするには、「彼(彼女)を好きだけど、必要としない」「子どものことは愛しているけれど、必要としない」というあり方を身につけることです。

「そんなものは愛ではない」と思う方もいらっしゃるかもしれません。ですが、ニーズと愛とは異なります。多くの方が誤解するのですが、「愛」というのは、ワクワクするだとか、嬉しいだとか、満ち足りた感情のことを言うのではなくて、メンタリティ/状態/あり方のことです。相手に対して、「私は全部をそのままに受け取っていて、全部をそのままに与えている。全部がOK」というメンタリティが「愛」です。よく「愛を与える」「君の愛が欲しい」などと言いますが、愛は厳密に言うと、宝石のように手に入れることができるものでも、所有できるものでも、与えることができるものでもありません。愛とはただ「そこにある」もので、あなた自身のメンタリティによって「出現」するものです。

たとえば親が「子どもを愛している」とき、「この子はこの子のままでいい、私は私のままでいい」というメンタリティがあるはずです。それはあるがままを慈しんでいる状態です。とても平和で、何も拒否せず、流れにまかせて、互いが互いであることで世界が無限に豊かになるような状態です。反対に、「この子がいなければ生きていけない」「この子にこうなってもらわないと困る」という気持ちは、「ニーズ」です。「ニーズ」が挟まると、人間関係は奪い合いになります。相手を所有しようとしたり、どうにかして流れを曲げようとしたり、次の手を考えたりします。そのため、「子どもを必要としている」状態は、「子どもを愛している」状態を壊すことになるのです(恋人同士や、夫婦においても同じです)。

すべての人間関係は、「私は私のままでOK、あなたはあなたのままでOK」であるときに、うまく行きます。誰もコントロールせず、誰も犠牲になりません。よく、友達や会社の人とはうまくつきあっているのに、恋人や親子関係になると依存してしまう、という方がいます。これは恋人関係や親子関係が、「愛」を前提とした人間関係の究極の形だからです。こういう方は、心の奥底に人知れず、自分は愛されるはずがないという感覚をしまい込んでいます(奥底にあるために、通常の人間関係では表面化しません)。自分を自分で愛し、「愛」に対する考え方のアプローチを変えることによって、関係の築き方が変わってきます。


  2.自分を愛する

上記の続きになりますが、人間関係で相手を必要とせず好きでいるためには、自分で自分を愛することが必須になってきます。たとえどんなに欠点だらけであろうと、私は愛されるべき素晴らしい人間で、価値ある存在だと自分で認めていることです(これを自己肯定感と言います)。自己肯定感がある、というと、自信満々に見える人、自分の意見をずばずばと言う人を想像しがちですが、自己肯定感は自分で自分をどう見ているかがすべてで、他人から見てどう見えるかはあまり関係がありません。ですから、自信満々に見える人が低い自己肯定感を持っていることもあれば、控えめに見える人が高い自己肯定感を持っていることもあります。

また、自己肯定感と「尊大」「傲慢」は違います。「尊大」「傲慢」は、自分を認めさせるために、自分を大きく見せようとしている状態です。この裏には、自分を大きく押し出さなければ、周囲に認めてもらえないのではという怖れがあります。「尊大」や「傲慢」は、実は「このままの自分ではダメだ」という劣等感の表れ、つまり自己肯定感が低いことの表れなのです。

自己肯定感の高い人は、自分が自分であることに満足しています。自分のニーズを自分で満たしているので、他人に満たしてもらう必要がありません。共依存のもととなる「心に開いた穴」「見捨てられ感情」「怖れ」は、自分で自分を愛すること、つまり自己肯定感をもつことによって無くなっていきます。逆に言うと、自分で自分を愛することなしに、他人との関係によって「心に開いた穴」「見捨てられ感情」「怖れ」を埋めようとしても、無くなることはありません。

よく「自分を愛せないと人を愛することができない」と言います。これは正しいです。他人との人間関係は、あなたが自分に対して築く人間関係、つまり自分が自分をどう認めて、自分にどう接するかのリフレクション(投影)です。あなたが自分に対してneedyでダメ出しをしていると、他人に対してもneedyになります。愛をもって自分に接すると、他人との人間関係にも愛が出現します。

実際は、自分が自分自身に対して築く人間関係がまず先にあり、後の人間関係はすべてその後ろについてくる「オマケ」のようなものです。たとえば親ガモがよちよち歩くと、その後ろにたくさんの子ガモがよちよち付いてきますね。それと同じように、自分が自分自身に対して築く人間関係が行く方向に、どこにでも付いてくるのが周囲との人間関係です。あなたがあなたに対して築く人間関係が、あなたの人生になるのです。

たとえどんな大恋愛であろうと、絆の深い親と子であろうと、それが人生の「子ガモ的な存在」であるときに、一番うまくいくということを理解しましょう。パートナーや子どもに依存しているとき、あなたは自分の人生を放り投げて、自分が子ガモになっています。自分の人生を生きましょう。あなたが居心地よくあなたでいることによって、後の人間関係は居心地良くあなたの周りに集まってくることでしょう。


  3.与えるのではなく、すでにある愛を受け取る。

パートナーシップや子育てに悩みやすい方は、主に「与える」ことを考え、「受け取る」ことをしない傾向があります。たとえば、A子さんは交際相手に対して「私なんかと一緒にいても、彼がつまらないんじゃないか」「もっと彼の役に立てるような存在になりたい」という思いを強くもっています。しかし、A子さんは「彼は私のことを○○という形で愛していて、私はそれを受け取っている」という方向には意識がいきません。また、B男さんは息子に対して「息子が学校でうまくいかないのは、親の愛情不足だと思う」「息子をもっと鍛えて、強くなってほしい」という思いを強くもっています。しかし、「息子は私に対して○○という形で愛を表現していて、私はそれを受け取っている」というようなお話は出てきません。

もう少し言うと、A子さんやB男さんのような方は、「受け取る」という言葉に明らかな拒否反応があります。「彼氏さんからの愛を受け取ってください」「息子さんの気持ちを受け取ってください」と申し上げても、拒否したり、無視や聞かなかったフリ(スルー)・・・があることもあります。しかし、「相手にもっと○○を与えてください」というアドバイスを聞くと、我が意を得たとばかりに「なるほど、そうですよね!」と大いに賛同されます。「受け取る」だけではなく、「甘える」だとか「任せる」という言葉に対しても、同じような拒否反応があります。たとえば、「子どもが自分のことを自分でしてくれない、どうにかして一人でやってほしい」というお母さまに、「手を貸さずにお子さんに任せるというのはいかがですか」と申し上げると、即座に「それはできません」とおっしゃるような場合です。

「受け取る」「甘える」「任せる」に共通するのは、コントロールを手放している、というところです。共依存症者は、人間関係においてコントロールができない状態をとても怖れます。問題がないように自分がそこに常にエネルギーをつぎ込んでおかないといけない、問題が起ってしまったら、さらにエネルギーをつぎ込むことによって人間関係を解決できると考えているのです。ですが、人間関係はもともと別々の異なる人間が共に居ることですから、コントロールすることは究極的には不可能です。それは、どんなに互いが一緒にいても、相手が相手であり、私が私である事実を変えることができないのと同じです。

たいてい人間関係は、お互いに受け取り合いをしていればコントロールしなくても勝手に滑って行くものです。子どもは親が想像する以上に、親のことをすでに好きです。これは私が親から虐待を受けた大人たちのカウンセリングを一時期していて感じたことですが、親から虐待を受けてなお、子どもは簡単に親のことを嫌いになれません。子どもが大人になっても、親を憎むことには相当な葛藤があるものです。 子どもの愛はあなたの前に常にあります(「子どもなり」の方法ではありますが、必ずあります)。もしあなたが親なら、子どもからすでに「愛されている」という事実を受け取ってください。そして、子どものころに自分が「受け取る」「甘える」「任せる」を封じ込めてこなかったか、振り返ってみてください。

「受け取る」「甘える」「任せる」に対する拒否反応は、まず自分自身にそれを許していないところから来ています。自分で自分に「受け取っちゃダメ」「甘えちゃダメ」「任せちゃダメ」と言っていることが多いです。自分を愛して、人から愛されることを許しましょう。受け取ったときに、「お返しをしなければ」と考える必要はありません(この罪悪感が、受け取り下手になる原因だからです)。にっこり「ありがとう」「嬉しい」と受け取るだけでよいのです。相手からの愛を受け取ると、解決不能と思われた問題に、新たな心で向き合うことができるようになるはずです。


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