1. 海外移住と異文化適応


海外移住のきっかけは、人それぞれです。チャンスを求めて飛び出してきた人もいれば、結婚を機に越してきた人もいることでしょう。リタイヤ後に移住した方もいるでしょうし、なんとなく居ついてしまった方もいるでしょう。

私自身は、メキシコに住みたいという気持ちで日本を出てきたので、移住はもちろんポジティブな気持ちからでした。それでも当初は、こんなに長く住み続けるとは想定していなかったです。今後もメキシコに住み続けるのかはわかりません。メキシコにいたい気持ちもありますし、メキシコ国内の引っ越しも面白そうですし、他国に移ってもいいかなと思う気持ちもあります。

海外移住者に特有の悩みというのはあるでしょうか。

代表的なところでは、カルチャーショック研究の一環である、異文化適応の心理的な段階モデルがあります。たとえば精神科医の稲村博氏は、世界各国に住む日本人の調査を行い、海外への適応過程を以下の5つの段階にまとめています(『日本人の海外不適応』、NHKブックス、1980)。必ずしも長期の移住に限定されず、中期・短期の海外渡航にもあてはまるため、近年では、海外駐在員のメンタルヘルスケアの参考としてよく引用されています。

@移住期
渡航してすぐの段階で、すべてが目新しく、好奇心を刺激します。極度の緊張・高揚状態にあり、無我夢中で毎日を送るため、ストレスを感じている暇もない場合も多いです。

A不満期
移住期が一段落すると、はじめはあまり感じなかった新しい環境の欠点が目に付きはじめます。日本と比較して劣っていると感じたり、海外でできることのリミットを感じて落ち込む時期です。イライラ、怒り、不安、焦り抑うつを感じやすく、心身の不調にもっとも悩まされやすい危機的な時期と言われます。

B諦観期
海外の生活をあきらめをもって受容しはじめる時期。不満が完全になくなったわけではないですが、当地のもろもろを受け入れつつ、自分の落ち着きどころを探し始めます。ここからが本格的な適応のはじまりと見なされます。

C適応期
海外に違和感なく溶け込んでいる時期。生活や気持ちの基盤が移住先にでき、移住先にがんばって自分を合わせるのではなく、自分の人生を歩んでいる感覚をもつことができます。

D望郷期
適応期を経て、ふとしたきっかけで日本へのノスタルジーが強く出てくる時期。長期移住者に多いといわれます。現地語にも現地の生活にも支障はないけれど、帰国しようかと考えたり、どうしても日本のものでないと受け付けなくなることもあります。

海外居住者は、自分や他の人の例を見てきて「あるある」と思うことも多いのではないでしょうか。私自身は、Dの望郷期の例が気になります。海外生活も10年めになり、「20年30年選手の先輩方」の動向をうかがう機会が増えてきました。「やっぱり日本が一番」と日本にUターン帰国をされる方もいますし、こちらに骨をうずめる方もいます。

さて、異文化適応段階モデルには、異論も多くあります。たとえば必ずしも@の移住期がなくAの不満期からはじまるケースも多いことや、何か「適応」なのかそもそも定かではない、という指摘があります。私自身は、この段階モデルは参考程度にとどめています。このモデルにのっとるなら、Aの不満期に悩みが集中するはずですが、実際は相関性はあまりありません。海外の生活の基盤がしっかりとできてから出てくる悩みも多くありますし、渡航してすぐの悩みももちろんあります。また。適応を目指しがちな方とそうでない方とでは、悩みの性質も違います。

適応というと、居住地カルチャーと完全に同化することをイメージしがちですが、適応は必ずしも同化を意味しません。現地の人と同じことを感じて、同じことをするようになることだけが、適応ではないでしょう。私は適応という言葉を、自分自身との適応というように捉えています。自分自身とadapt, adjust, acomodateする、つまり自分を受け入れるとか、居心地良く受け止める、ということです。どこに住んでいようとも、自分らしくいること、自分の価値観や人生の歩みに自信がもてることと言ってもよいでしょう。

適応をこの意味で捉えると、外国生活のどんな段階であっても、自分らしさがあれば幸せを感じることができるでしょうし、逆に自分らしらが失われるようなことに遭遇すれば悩みになり得ます。この失われたものの回復がどの地で行いやすいのかという判断によって、当地に留まるのがよいか、帰国したほうがよいかも異なってきます。

私が重視しているのは、相談者さんが人生の中で、今の土地に住みに来たということを、深いレベルでどのように意味づけてきたのかということです。そして、時間がたってその意味づけが変化したのであれば、それはどういう心境の変化かということです。

カルチャーショックやホームシックが本質的な悩みである方は確かにおられます。しかし、私の感覚では海外在住者の一部にすぎません。むしろ異文化は見かけの悩みで、その奥に、それまでの人生で抱えてきた自分(や周り)に対する漠然とした違和感があり、それは本人も気づかなかったり、見ないようにしてきた部分かもしれないけれども、海外生活や異文化体験がきっかけとなって顕在化することが多くあると感じています。

 2.「リセット願望」の力


海外へ出ようと決心する人の多くが、新しい環境で新しい生活をはじめるにあたり、「自分を変えたい」「一からやり直したい」「新しく生まれ変わりたい」「今までの自分をリセットしたい」などの気持ちを原動力として持っています。私はこれを「リセット願望」と呼んでいます。

「リセット願望」は、本質的にとてもポジティブな感情です。未知の生活に飛び込む不安が大きければ大きいほど、人は不安に飲み込まれないように自分を奮い立たせようとします。それらは「日本を出て、もっと大きな舞台で勝負したい」「仕事漬けの生活を抜け出し、人生をゆっくり歩みたい」「新しい人間関係を一から作りたい」「誰も私のことを知らない世界で自由に生きたい」など、さまざまです。今までの環境の限界を見つけて、「心機一転」し新しい環境に可能性を託すことによって、新生活に夢や希望を見つけやすくなり、がんばろうという気力がわいてきます。このように、「リセット願望」は新生活に挑戦するための原動力になり、過度の不安やストレスから人を守ってくれるのです。

よく「逃げるために海外にいってはいけない」などと言いますが、私は「逃げ」をネガティブに捉えていません。逃げたい気持ちは、それまでの環境や自分への強い違和感が元になっています。私たちは人生でたくさんの自己再生のプロセスを経験します。それまでの自身のあり方に行き詰りを感じることが前兆となって、自己再生に踏み出すことも多くあります。学校に入ることだったり、仕事に就くことだったり、引っ越しだったりと、きっかけはさまざまです。海外移住もそのきっかけの一つと考えることができます。

逃げたいものや変えたいものがあり、変えるきっかけが海外に行くことであったならば、その方にとって海外行きはとてもポジティブな決意だったのです。一般的に、人が人生上の大きな決断をするのは、常によかれと思ってです。たとえ後から「逃げだった」となったとしても、決断をした当時の気持ちに即していうと「リセット願望」であったことが多いです。

「リセット願望」には大小あり、それまでの不満が大きい人もいれば、特に不満はなかったけれど、新しい生活を前向きに捉えようとしているうちに願望が出てくる人もいます。また、長期だけでなく、中期・短期の滞在者、または、海外に必ずしも自分の意思のみで来たわけではない、駐在員や派遣者とその家族にも、ある程度共通して存在します。

長期在住者の悩みの原因に多いのが、海外での生活でリセットできた部分とそうでない部分が、ある程度のタイムスパンの後、明らかになってきた場合です。

たとえばA国に住んで5年目になるFさんは、「楽しかったはずの海外生活が辛くなってきた」「A国での土地柄になじめない」といった悩み相談で来られました。表面的には、A国での環境がFさんに合っていないのかと思われました。しかし、お話をうかがううちに、5年前、日本で前夫と離婚をし、失意の中気持ちを振り切るようにして海外行きを実行したことがわかりました。また、最近、離婚後はじめて恋人ができたにもかかわらず、そのことでA国の生活がますます辛く感じられていることもわかりました。

Fさんの海外移住の意味は、土地を離れることでそれまでの人間関係を断ち切り、新しい生活をはじめることにありました。前夫とのことを忘れて「リセットをしたい」「新しく生まれ変わりたい」という気持ちが原動力になっていたのです。この原動力に突き動かされている間、Fさんの心に前夫とのことが入り込む隙はありませんでした。しかし、生活も落ち着き、恋を始めたことがきっかけで、前夫との間で漠然と感じていた孤独感や虚しさがふたたび浮き上がってきました。リセットしたかったものがリセットできなかったことで、Fさんは失意に沈みました。「どこに住んでも結局は同じ」「海外生活に失敗した」という絶望を感じ、楽しかった異国生活が楽しくなくなってきました。FさんにとってのA国生活は、急激に意義を失っていったのです。

もちろん、海外に飛び出して、自身の遂げたかった変化を遂げることができる場合も多くあります。ですが、Fさんの場合、ご自身でも意識していなかった「置いきたはずの感情」が、戻ってきたことに動揺しています。このように、無意識の感情やペンディングになった問題があり、何かのきっかけで(Fさんの場合、恋人ができたことで)再び直面させられるというケースは多くあります。ご本人は、「海外生活に失敗した」「異文化に適応できなかった」と判断しがちですが、実際は適応の問題というよりは、その方の人生で自己再生が思うようにいかなかった挫折感が深く関わっています。

Fさんのような場合は、まずはご自身の問題に正面から向き合うことが効果的です。Fさんに必要なのは、前夫との間で整理しきれていなかった気持ちの整理をやり直すことです。前夫に対する悲しみや怒りがあれば、それを出し、封じ込めてきた感情を十分に感じます。そして、過去とは異なるどのようなパートナー関係を、現在の恋人と作っていきたいのかを考えていただきます。Fさんが「リセット」して乗り越えたいのは、実際は前夫との間で傷ついたご自身の心です。必ずしも日本への帰国を急がなくても、今の生活の中でできる癒しを経て、自信を回復していただける可能性が十分にあります。

また、Fさんは「海外生活に失敗した」と思っていますが、そのように決めつける必要はありません。離婚後の心の整理をつけるためにA国での生活をはじめたことは、5年前のFさんにとって十分ポジティブな意義があったはずです。それをすべて「失敗」と切り捨てては、当時のFさんの気持ちが置き去りになってしまいます。人生には、過去に捨てたはずの気持ちが、また戻ってくることが往々にしてあります。自分でも思いがけない形で過去が戻ってきたとしたら、その時が「その気持ちにもう一度、取り組む最適な時」なんだと受け止めましょう。

Fさんが心の落ち着きどころを見つけたとき、おそらく現在の生活を新しい視点で見つめることができます。その後、A国に住むことに新しい意義を見出すか、帰国するか、あるいはまた別の土地に移るか、さまざまな選択肢を改めて考えてみても遅くはないでしょう。

 3.海外生活を楽しむヒント


@自由を楽しむ
海外の生活で望んでいた「リセット」ができることは、かけがえのない宝物です。新しい風に身を任せましょう。今の自由をたくさん感じて、自分を信じて十分に楽しみましょう。あなたが自由を楽しめば楽しむほど、海外生活はあなたの一部になり、違和感を感じないようになるでしょう。また、あなたのエネルギーに惹かれて良い人間関係がたくさん集まってくることでしょう。

もしまた新しい自己再生の機会が訪れたら、それもポジティブに受け入れましょう。たくさんの変容を通して、さらなる可能性が開け、自分が成長する手ごたえを得られることでしょう。

A適応のいろいろな段階を楽しむ
海外への完璧な適応を目指すと、苦しくなります。むしろ、ネガティブなものもポジティブなものも含めて、自身に訪れるさまざまな感情を楽しみましょう。私は、適応の段階といわれている@移住期A不満期B諦観期C適応期D望郷期を、ランダムに経験することをおすすめしています。もともとの言葉や文化が違うのですから、何十年たっても居住国に対する不満が出るときは出るでしょうし、日本に帰りたくなる時もあるでしょう。あるいは来たばかりでもまるでその国で生まれたかのような一体感を感じる時もあるでしょう。来たばかりの新鮮な感覚を、数年後や数十年後によみがえらせることができたら、こんなに幸せな瞬間もないかもしれません。

いろいろな気持ちをすべて経験できることが、海外に暮らすことの醍醐味だと私は考えています。移り変わる見方や自分の立ち位置を否定せず、そのままに受け取る楽しみ方をしてみてください。

B「属さない」ことを楽しむ
人にはどこかに帰属したい欲求がある一方で、帰属しないことが心地よい場合もあるといわれています。外国人として、部外者であり、通りすがりの存在であるとき、私たちは孤独を感じます。しかし一方で、外部にいて観察者にまわることで得ることのできる楽しみもあります。

思想家ウォルター・ベンヤミンは、19世紀パリに地方からやってきて群衆の一部に溶け込むことで、逆に自由を感じるようになった「ヨソ者」たちを「遊歩者」と名付けました。「遊歩者」は気ままにショーウインドーを見て回り、カフェのテラスで人間観察をし、展覧会に足を運びますが、決してパリに同化はしませんでした。そして、19世紀のパリは、この「遊歩者」を喜ばせるためにアーケードやデパートを生みだし、現在の近代都市の形に発展したと言われています。このように、歴史的には、文化に溶け込まない立場の人々が逆に文化の多様性をうながし、都市を発展させてきた例もあります。

「属さない」「溶け込まない」ことに疲れたら、それを逆に利点にしてみましょう。属さなくても、そこにいて楽しむ権利は十分にあります。あなたならではの視点で、異国を観察してみましょう。


 4.相談事例


Gさん
海外生活30年になります。日本では厳格な父母のもとで育てられました。子どもの私は手のかからないいい子だったと思います。共働きの両親の仕事の愚痴を聞いたり、長女として妹たちの面倒もよく見ていました。家業を継ぐように決められ、いったん継いだのですが合わず、大喧嘩をしてB国に飛び出しました。両親からのサポートは当然なくゼロからのスタートでした。幸い仕事に就くことができ、25年前にB国人の夫と結婚し、2人の子どもに恵まれ幸せな家庭を築いてきました。

父母とは疎遠気味でしたが、もうすぐ母が要介護になる予定で、最近連絡をとることが増えています。特に母が以前に比べると気持ちが弱ってきて、電話すると「Gちゃん日本に帰ってきて」と言います。それを聞くと私も両親に対して申し訳なくて、自分の勝手で海外に来てなんと親不幸だったのかと涙がでます。日本に帰るべきだとも思うのですが、仕事をやめていいものか迷いますし、父はまだ私に癇癪をおこすこともありますので、家族と離れて日本で両親相手の毎日ができるのか自信がありません。最近は悩みすぎてもう生まれなければよかった、消えてしまいたいとすら思います。何かアドバイスをいただければ幸いです。
(*相談内容は、いくつかの相談事例をまとめた創作です)

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ご相談ありがとうございます。

私はGさんは、とてもやさしい方なんだろうなと思います。
子どものころからご両親の愚痴を聞いたり、妹さんたちの面倒をみたり、決まった家業に就いて、ずっとご両親の期待に添ってがんばってこられたんですね。
でもご自分の意思でB国に来られて、そこから生活を一から築いてこられたんですね。きっと並みの決心ではなかったことでしょうし、異国でご自身の人生を歩んで子育てをされてきたことで、ご苦労もたくさんあったことでしょう。

ですが現在、ご両親から「帰ってきて」と言われ、ご両親に申し訳なく、罪悪感を抱えておられるんですね。
Gさんは、きっとご両親をとても大切に思ってこられたんだと思います。
大切でなければ、おそらくご両親のことで、これほど悩んだりしないことでしょう。

ところで、私は以前から、海外在住者と原家族(生まれ育った家族)というのは、とても深いテーマだと感じています。
以下、推測も含めてですが、私が感じたことを率直に書かせていただきますね。

Gさんの子どものころの様子をうかがって、役割という言葉が浮かんできます。家族の中で厳しい役割がある場合、子どもはその役割を担うことによってのみ、家庭で自分の居場所を得ることができます。Gさんの場合は、ご両親の話を聞いたり、長女として妹さんたちの面倒を見ることがそれに当たっていたと思われます。役割を果たすGさんは、そのことで「いい子」だったのです。

家業を継いだけれど、それが合わず大喧嘩したとのこと。もしかしたら、今までずっとがんばって担ってきた役割に対して、Gさんの心のどこかが、もうこれは苦しいよ、もうやめたいよ、と叫んでいたのではないでしょうか。だとしたら、Gさんが海外に出たのは、ご自身の心を大切にする大きな一歩だったと思いますし、勇気のあるすばらしい決断だったと私は思います。
海外という環境を敢えてGさんが選んだのには、理由があると私は思います。「両親からできるだけ遠く離れて、できるだけ影響が少ない環境で、自分の人生を生きたい」が、その気持ちではなかったでしょうか。

さて、Gさんが役割から離れた後、期待がそこまで大きくなければ、ご両親は役割をはずれたGさんをそのまま受け入れることでしょう。しかし、役割への縛りがあまりに大きいと、Gさんのことを見なくなってしまったり、無理やり元の役割に戻そうとしたり、あるいは混乱してどう接していいかわからなくなったりします。Gさんが海外に出た後、ご両親はどのようにGさんをご覧になっていたでしょうか。どうか振り返って考えてみてください。そして、長い年月を経て、その見方に変化は生じてきましたか?

お母さまがGさんに「帰ってきて」と言ったり、お父さまが癇癪を起したりする裏には、「もっと一家の一員として行動してほしい」「もっと長女らしくふるまってほしい」「もっと家族に貢献してほしい」という、役割要請が隠れてはいないでしょうか。

現在Gさんは、ご両親の介護をするべきだという気持ちと、やっていけるか自信がないという気持ちの間で、生まれなければよかったと思うほど悩んでおられる。お辛い状況ですね。
ご自身の人生を築いてきたけれど、親孝行をしたい、ご両親の「いい子」に戻りたい気持ちが出てきて混乱されているのではないでしょうか。その根底には、「もう一度両親の役に立つことで、両親に愛されたい」という気持ちがあるように感じます。

さて、私はGさんは、ご自身が本当は何を欲しているのか、少し時間をかけて考えていただくのがよいと思います。ご両親への罪悪感はお辛いと思います。しかし、一方でGさんは30年間、ご両親と疎遠気味で幸せにやってこられたわけです。また、「帰ってきて」と言われつつも帰国するのを迷っておられますね。このことの意味は大きいです。私は、おそらくGさんは海外生活で、自身の幸せと心の居場所を作ってこられた、だからこそ、ご両親とも、もう一度関わってもいいかなと思える気持ちの余裕をもつようになったのではないかと想像しています。こう考えると、ご両親ともう一度関わることで、せっかく築いてきた心の安定が崩れるような恐怖があるはずで、Gさんが帰国を躊躇されるのも最もなことです。

私は、Gさんがもしご両親と関わるのであれば、関わり方を決めることを意識されるとよいと思います。ご両親の役に立ちたい気持ちも持ちながら、今の心の安定も手放さない、両方の折り合い地点を探ることです。そのためには、過去にさかのぼって、ご両親に対するご自身の気持ちや、ご両親とGさんの関係の変化を振り返っていだだくのが有効だと思います。小さいときにご両親からしてもらってうれしかったこと、悲しかったこと、ご両親に言いたくて言えなかったことなどを、改めて洗い出してみませんか。また、ご自身がB国に来てからの歩みと、ご両親への気持ちの変化も見つめてみてください。もしかしたら過去の嫌なことを思い出す苦しいプロセスになるかもかもしれません。憎しみが出てきたり、いままでの自分が崩れてしまうような不安や恐怖もあるかもしれません。でも、自分の心に降りていくことで、きっとご両親への気持ちがはっきりしてきます。そして、「関わり方」「自分の居心地のいい距離のとり方」に自信がもてるようになります。「社会的にはこうするべき」「親が望んでいるから」ではなくて、自分は何を望むのだろうと、問い直してみてください。

さて、ご両親との関わり方には、実際は「介護をしにいく、いかない」だけではないたくさんの選択肢があるように思われます。「試しに一時帰国して短期間一緒に住んでみる」「介護は人に任せて、折に触れて様子を見に行く」「ご両親とはつながるけれど、期待された役割ではなく自分で決めた役割で関わる」などです。ご自身の気持ちに自信がもてるようになったら、どういうスタンスを選びたいかが見えてくることでしょう。どんな結論を選ばれるにしても、ご自身でしっかり持っておいたほうが後々、楽かなと思う心構えを以下に挙げます。

・B国で築いてこられたご自身の歩みに自信をもつ(親から離れた自分を責めない)。
・役割を担うのであれば、親の期待に応えるためではなく、自分のためにする(自分がやりたいからやる、それでよしとする)。
・ご両親から無条件の愛を得られることを期待しない。不完全な愛だとしても、それが彼らの与えることのできる限界だと悟る。
・ご両親との間に責任と感情の適切な境界線を引くことを心がける。

過去を振り返るにあたって、自分が自分をたくさん好きになれるようにしてみてください。「私は誰の期待に応えなくても、生きていいてよいし、愛されてよい」ということを、自分で自分に言い聞かせてあげていただきたいです。難しいように思うかもしれません。でも心のコップの水をためるように、自分を愛情で満たせば満たすほど、自分に対する確かさが感じられてきます。そうしたら、自分が本当は何をしたい、という前向きな気持ちは、そのあとに自然と出てきます。

Gさんの心の旅に、たくさんの幸がありますように。
応援しています。



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